表参道通信
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1997.12.25
表参道通信その16 合同忘年会と年末のご挨拶
12月22日は恒例になってきました、合同忘年会でした。
参加者は司法書士山口事務所
同 藤野事務所
公認会計士 金子事務所
税理士 土井事務所
弁理士 小川事務所
税理士 大澤さん 井口さん 家後さん
弁護士 古田さん
(株)フルハウスインターナショナル
その他 後藤さん 荒井さん 竹沢さん
いつもの通り、山口事務所では法務局に申請に行ったまま帰ってこれずに欠席という人が出ましたが、総勢27名でした。
今年は豪華クルーザーを1漕チャーターして東京湾クルージングでした。
朝潮小型桟橋を7時に出港、お台場から天王州アイルをまわりました。
日本酒片手に、お腹の中から暖めながらデッキの上から眺める東京湾の夜景は本当に奇麗でした。特に、フジテレビ本社ビルの展望室になっている例の球形はライトアップされて豪華に回転しているようでした。「いやー、もうかってんなー!」と、思わず誰かが言いました。実感です。去年の四月からホームページで情報発信を始めましたが、最初は、税理士や司法書士など同業のような方からのメールがほとんどでしたが、今年に入って一般の方達からの相談が増えてきました。情報発信は続けていくのが大事なのかもしれません。
また、せっかく便利なツールを手に入れたのに、それを有効利用していないのが現状です。来年は、もう少しメールを有効に使う事を考えてみたいと思います。 -
1997.11.14
表参道通信その15 必要とされるという事
マザー・テレサは生前「今日の最も重い病気は、人から愛されていない、誰からも見捨てられていると感じる事なのです。」と、おっしゃったそうです。
そういう意味では、亡ダイアナ元皇太子妃は最も重い病気に罹っていて、そしてそれが快方に向かいそうになった時に悲運の死を迎えてしまったような気がします。
もちろん、ダイアナ元皇太子妃を個人的に存じ上げていたわけでもなく、彼女が一番嫌っていたであろうマスコミによる情報の蓄積によるあくまでも私の私的感想ですが。若くて、夢と希望に満ちて世紀のプリンセスになった彼女を待っていたのは、一番愛して頼りになってくれるはずの夫の不貞でした。
最初に気が付いた時には、信じられない思いをし、でも本当に結婚してしまえば自分だけを愛してくれるのではと思い結婚したのでしょう。なんといっても自分は『妻』なのだから。でも『妻』という立場は自分を何も守ってくれない事を思い知らされます。相手が自分の夫との結婚を望んでいないのならなおさらです。
「あなたは確かに彼の妻よ。でもそんなのは問題ではないわ。私は彼の気持さえあればいいの。」という相手に妻として戦う術はありません。
頼りの夫に「私はあなたの妻なのよ。私だけを見て。私だけを愛して。」と言ってみても、そう言われて妻を顧みる夫は多分存在しないでしょう。そのうえ、強力な武器であるはずの若さも美貌も、妻になってしまった後では夫を取り戻すのに何の役にも立ちません。夫にとっては、一度手に入れてしまった花が大きくあでやかに開いても感激は薄いのかもしれません。それ以上に周りの目が妻ばかりに集中し、夫としては心穏やかではない状態だったのでしょう。
一番愛されたい相手に、愛されない時、幸せな時には考えてもみない自分の存在価値に疑いを持ち始めます。この世に自分が存在している意味が分からなくなります。ダイアナ元妃が、過食症になったり自殺未遂をしたりしたのはそんな時だったのでしょう。
やがて、自分の夫にどんなに愛情を求めてもかなえられない事を悟り、ボランティア活動に力を入れ始めました。そこにはダイアナ元妃を必要としてくれるたくさんの人がいたのです。必要とされている喜びに満ち、自分がこの世に生きていても良いのだと実感した事でしょう。最近ハヤリの、『失楽園』や『不機嫌な果実』にみられるような妻の不倫も自分を必要とされていないという欠乏感から来るような気がします。女性誌が最近よく取り上げる『自分探し』も、ただの自分ではなく「必要とされる自分」を探す旅の様な気がします。
私が自分の仕事を続けていけるのも、必要とされている喜びがあるからです。どんなに嫌な事があったとしても、「おかげで助かりました。どうもありがとうございました。」の一言でまた意欲がわいてきます。これからもますます必要とされるように、知識や情報の蓄積や提供に努めたいと思います。
ただ、それと同時に、どんな人間でもすべての人間が必要とされているという事を忘れてはいけないと思います。仕事上必要とされているという事は、一番分かりやすく、拠り所としがちですが、人間は人間である事、それだけでこの世に必要とされているという事を忘れてはいけないと思います。
そうしないと、あのダイアナ元妃でさえも陥ってしまったように自分の存在意義を見い出せなくなり自分自身を痛めつけるようになります。そして定年退職したり、リストラで解雇されたりした時に自分自身まで失う事になります。
すべての人間はもちろん、自分自身も、それだけで必要とされ、愛すべき存在であるという事を忘れないようにしたいと思います。 -
1997.08.20
表参道通信その14 香港
1997年7月1日香港が中国に返還されました。
返還の儀式の様子をテレビで見ていましたが、警察と軍隊が中国になるというのが印象的でした。統治するという事は、警察と軍が入る事である、という事が平和ぼけした目には実に新鮮でした。「返還ってそういそういう事なんだ。」と、整然と且つ威圧的に行進する軍隊を見て思いました。8月のお盆休みに思いがけなく香港行きのチケットが取れて、行ってきました。
返還後の香港は、本当に何も変わっていないようでした。でも、確実に日本人旅行者が減っているようです。帰りのバスの中で、アンケートを取っていた添乗員さんが言っていました。「去年はこんな事をしている暇はなかった。」と。ペニンシュラホテルのショッピングアーケードも前に行ったほどの混雑は見られませんでした。アンケートを取って、もっと楽しい企画を考えてくれるかもしれませんが、お買物旅行の香港では、円がもっと強くならなければ日本人観光客は戻ってこないでしょう。 -
1997.06.20
表参道通信その13 若さと美貌と資本主義
事務所にパソコンが来て1年以上経ちました。
インターネットに作った自分のホームページを見るためにパソコンを始めましたが、ほとんど違和感を持たず割とすんなり入ってしまいました。労力を惜しまない良いサポーターが側にいてくれたおかげでもありますが、私のパソコン初体験はずーと昔、司法書士受験時代にさかのぼります。実は、司法書士受験生時代、アルバイトでNECのショーに出ていたのです。エレクトリックショーやビジネスショーです。今は、幕張メッセなんかでよくやってますが、あの頃は、晴海や東京プリンスホテルや、新宿のNSビルでした。出展企業毎にそろいのユニフォームを着て、白いハイヒールを履いて、パソコンの前でニッコリというあれです。
あのショーコンパニオンにもいろいろ種類があります。
マイクを持って商品説明をする「ナレーターコンパニオン」
受付などにいて、にっこりとカタログを配ったりする「コンパニオン」
パソコンの前でパソコンを触って見せる「オペレーター」です。「ナレーターコンパニオン」は、話し方の訓練をちゃんと積んでいて、前の晩遅くにやっと出来あがった原稿を渡されて、次の日の早朝にはマイクを持ってにこにこと商品説明をしているのには驚きました。
「コンパニオン」はその頃ハヤリの女子大生で、でも、いわゆる素人ではなく、コンパニオン会社やモデルクラブから派遣されていました。私は勿論、その他大勢の正真正銘素人バイトの「オペレーター」で、それでも一応、築地の電通でオーデションを受けて、その後、2回位パソコンの操作を習いました。「オーデション」といってもその内情は単なる顔合わせで、それでも「電通でオーデションを受けた。」と言っては自慢してました。聞かされる相手は皆どうも納得しがたい表情をしてましたが・・・。
その頃のパソコンは今と比べるとなーんにもできなくて、立ち上げ一つが大変でした。特にコンパニオンとしては、パソコンを本当に操作出来る必要も無いらしく、まあ、座っていれば良い役でしたが、貧乏性なのか、ぼーとしている事が出来ず、カタカナで(カタカナしか入らなかったと思います)料理のレシピを入力したりしてました。それでもショーに出てるくらいですから、それがその頃の最新機器だったのでしょう。
コンパニオンは待ち時間の長い仕事です。
どうしてかは分かりませんが、まだ何も出来上がっていない会場に早朝から集合させられ、ブースが出来上がるのを待ちます。結局その日はブースが出来上がらず、リハーサルは翌日という事もありました。その間、晴見の会場のすみや、プリンスホテルの一室やロッカールームで待ちます。さすがにコンパニオン派遣会社やモデルクラブから来ているだけあって、みんな奇麗です。雑誌をめくりながらきゃーきゃー言っているのを見ているのは夢のようでした。毎日、男ばかりの中で受験勉強している私には別世界です。話題にもついていけません。毎日、先例集や六法を読んで、たまったバイト代で司法書士のバイブル、テイハンの「書式精義」を買おうと思っているのですから。
あんまり見とれているのも変なので見ないようにするのですが、知らず知らずボーっと見てしまいます。
よく一緒にお昼を食べてた子なんかは、女子大生として『お父様に買って頂いた君島一朗のスーツ』を着て雑誌「JJ」に載ったりしていました。オペーレーターでも学生バイトにしては破格の時給でしたが、コンパニオンの中でも企業の顔となる受付の子はNECがモデルクラブから選んできていて、普通のコンパニオンの3倍くらいの時給でした。ナレーターコンパニオンはもっと高いようでした。
その時思いました。「若さと美貌はお金になる。資本主義だなー。」って。需要と供給で価格が決まる自由競争の世界です。
若くて奇麗な子は希少価値があって需要があるからバイト代が高い。それに比べて、オペレーターは一山幾らです。
前の晩に原稿を渡されて、次の日には、にっこり商品説明をしてしまうナレーターコンパニオンは若さと美貌と技術で、もっと時給が高い。それでも、受付の子は「事務所に半分は取られるのよ。」と言っていました。
その子は私から見ると十分痩せて奇麗なのに「事務所にあと4キロ痩せないと今度は仕事を回さないと言われた。」と。
搾取されるのが嫌で独立したナレーターコンパニオンは「仕事を取ってくるのが大変。」
やれやれ何のお仕事も大変です。 -
1997.05.20
表参道通信その12 本の話
去年の暮れ、友人に「御正月休みになにか本を読みたいのだけれど、なにか良い本を紹介してくれない?」と言われて、最近、何も本というものを買っていないことに気がつきました。読まなければいけない資料や、調べ物や、そんなものが多すぎて書店でいわゆる本というものを買って読むことがないのです。買ってまで読みたい本がないことも確かです。
雅子様も御読みになっているらしいと評判になった「脳内革命」「脳内革命2」は、どこの本屋にも店頭に平積みになっていたので、行く先々の本屋で立ち読みをして、1も2も何だか読んでしまった感じです。ああいう、どこの本屋にでも置いてあって、ストーリー性のない本は、そうやって読んでしまうのも手です。
でも、活字中毒みたいなところがあって、とにかくボーとしているくらいなら字を読みたいと思うので、何でも読みます。
横断歩道で信号待ちの時は電光掲示板のニューステロップを読みます。銀行では、わけがわからないまま為替やドルやCDの数値を見ています。電車の中では、中吊広告を片っ端から読みます。そこでコンビニで立ち読みする週刊誌のアタリをつけます。地方の電車に乗ると広告にローカル色が出てなかなか面白いです。季節によっては、結婚式場のポスターばかりということもあります。車内の広告を全部読んでしまって、いよいよ読むものが無くなると、前に立っている人や隣に座っている人の読んでいる物を読みます。
読む本にもハヤリがあるらしく、一時期、10代後半から20代前半くらいの、特におとなしそうで真面目そうな男性が宗教関係、特に仏教の本を読んでいることが多いのが気になったことがあります。それに対してOL風の若い女性は、読んでて吐きたくなるような、ものすごい描写の犯罪物を読んでる人が多かった時期があります。今は特にはやっているものは無いようです。30代40代サラリーマン風は、パソコン雑誌を読んでる人が多いようです。たまにマニュアルを読んでいる人もいて、なんだか気の毒になります。パソコンの前で触りながらではなく、電車の中で読んでるというシチュエーションに必死さを感じて。50代以上の人は、総じて歴史物を読んでいます。新聞の連載小説は歴史物以外は結構読みます。
最近のは、今話題の日本経済新聞に連載されていた「失楽園」です。
日経朝刊にあのような連載小説が載るのがすごいです。
毎朝、楽しみに読んでいました。「さーて今日は何をするのかな?」です。『楷書のようなきちんとした感じの人妻を、リストラされそうな中年男性が海の見えるホテルで…・』
『父親の亡くなった日に喪服姿の女性をホテルに呼び出し、着物をたくし上げて後ろから』
『赤い長じゅばんを着せて、しっとりした旅館で』
「おいおい好きだね。このおじさん。」と思っていると、なんと、渋谷に借りたマンションで、自分のベルトを引き抜きSMまで始めちゃいました。お相手の女性も「こんなのが好きなのねー」と、思っていたのかもしれない。
外泊しても、咎めもせず、静観していたあげくに自分から離婚を言い出した妻の長い間のあきらめや、憎しみやそんなものには全然触れていない。
「早くはっきりした方がいいわよ。」と両親の離婚を促す娘の気持にも触れていない。
赤い長じゅばんを持って旅行に出る妻を、夫が殴っても当たり前と思うけど、それは二人の気持を正当化し、盛り上げることにしかならない。
すごい話です。
そして、なんだか心中しそうな話になってきて、「まさか、死なないだろう。死んじゃったらなんのひねりもないよなー。」と思っていたら、ある日の朝刊であっさり死んじゃいました。
その日の話題は「死んじゃいましたね。」です。その一言で、話が通ってしまうだけこの小説は日経購読者の中で注目されていました。男性のロマンの結晶らしいです。
「女性を使えない奴は出世出来ない」とか「女性が世の中を変える」だとか、この女性に媚びてる時代に、男の視点だけ、男の好きそうなものだけ満載の、ものすごくストレートな筋を、さすがの渡辺淳一先生の力量で読ませてくれました。上下2分冊になった本も売れているようです。映画もロングランするそうです。中年男性がいっぱい見に行くことでしょう。私の周りの女性には何の話題にもなっていません。30代サラリーマンは「俺は死なないよ。」の一言で話が終わりました。で、最近は本も買わない藤野のお薦め図書です。
『ナニワ金融道』 青木雄二 講談社
司法書士 司法書士補助者 銀行員 金融関係、不動産関係の方 必携!
「週間モーニング」に連載されていた漫画です。これを読んで抵当権の滌除が初めて理解出来ました。解説本も出ています。1996年12月発行の法学セミナー(日本評論社)ではこの漫画を題材にして「人間ドラマから手形法入門!」という特集を組みました。下手な解説書より実際的です。
『貨幣論』 岩井克人 筑摩書房
時間が出来たらもう一回じっくりと読みたいと思っている本です。
高付加価値商品やソフト等、労働量とそれによって生産された商品の価値が等価ではなくなった現代社会において、お金の価値って何だろうと思うと、ものすごく危うい均衡のうえで毎日の生活が成り立っていることが分かります。国や人や商品や経済やそれを支えるシステムに対する絶対の信頼がなければ「1万円札」は1万円ではなくなってしまいます。『大人はがの問題』五味太郎の大人有害論 五味太郎 講談社
精神的にまいっている時は青山のクレヨンハウスで絵本を眺めます。クレヨンハウスは昔懐かしいレモンちゃんこと落合恵子さんがやっているお店で、地下1階が自然食レストラン、1階が絵本、2階が女性に関する本が置いてあります。
そこで出来るだけ刺激の少ない、ぼーんやりして、ふわふわしている絵本を眺めるのですが、必ず手に取るのが五味太郎さんの本です。
普通の絵本は、作者が子供の目線の高さになるために、膝を折り、腰をかがめているそのギシギシした筋肉や骨の音が聞こえてくるようなのに、五味太郎さんの本には全然そんなところがありません。作者自身の目の高さで作者自身の考えで絵本を作っていて、それが自然に子供向けになっています。勿論大人も楽しめます。たぶん、子供をちゃんと人間として尊重しているからなのでしょう。そんな五味太郎さんが書いた「子供環境における大人有害論」です。気が向いたら開いたところを読む、という虫食い状態で読んでいますが、「人間に戻ろう。」と思います。『幼年期の終わり』 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫
何回も何回も、お風呂に入りながらでも読んだので、もうボロボロです。
物語の最初からの記述が全てラストのクライマックスの為に存在し、一気に読ませてくれます。オゾン層破壊や、温暖化で地球の環境も変化してきて、アトピーや花粉症になる人も増えてきています。多分きっと違う人類が発生する前触れだと私は思っています。『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫私がカート・ヴォネガット・ジュニアに初めて出会った本です。愛に満ちています。
カート・ヴォネガット・ジュニアの書くものには、手塚治虫作品の「ひげ親父」の様に端役で共通のキャラクターが登場し、その人物がそれぞれの小説でスパイスを効かせているので、他の作品も読むと益々はまります。このところずーと新しい作品が出版されていないようです。カート・ヴォネガット・ジュニア氏がアメリカで今、何をしているのか、ご存知の方がいらしたらメールをください。『恋愛,苦しんだのが嘘みたい。』
『恋愛,トホホだったのが嘘みたい。』
『こんどの恋で勝負の君ヘ。』
すべて 永尾カルビ PHP文庫渋谷の東邦生命ビルの本屋で立ち読みをしていたら、どうしても笑いをこらえることが出来ず、顔が筋肉痛になりそうだったので、引きつった頬をさすりさすり、そこにあった全作品を買ってしまいました。妙な説得力があります。笑えます。