表参道通信その12 本の話

表参道通信

 去年の暮れ、友人に「御正月休みになにか本を読みたいのだけれど、なにか良い本を紹介してくれない?」と言われて、最近、何も本というものを買っていないことに気がつきました。読まなければいけない資料や、調べ物や、そんなものが多すぎて書店でいわゆる本というものを買って読むことがないのです。買ってまで読みたい本がないことも確かです。

雅子様も御読みになっているらしいと評判になった「脳内革命」「脳内革命2」は、どこの本屋にも店頭に平積みになっていたので、行く先々の本屋で立ち読みをして、1も2も何だか読んでしまった感じです。ああいう、どこの本屋にでも置いてあって、ストーリー性のない本は、そうやって読んでしまうのも手です。

でも、活字中毒みたいなところがあって、とにかくボーとしているくらいなら字を読みたいと思うので、何でも読みます。
横断歩道で信号待ちの時は電光掲示板のニューステロップを読みます。銀行では、わけがわからないまま為替やドルやCDの数値を見ています。電車の中では、中吊広告を片っ端から読みます。そこでコンビニで立ち読みする週刊誌のアタリをつけます。地方の電車に乗ると広告にローカル色が出てなかなか面白いです。季節によっては、結婚式場のポスターばかりということもあります。

車内の広告を全部読んでしまって、いよいよ読むものが無くなると、前に立っている人や隣に座っている人の読んでいる物を読みます。
読む本にもハヤリがあるらしく、一時期、10代後半から20代前半くらいの、特におとなしそうで真面目そうな男性が宗教関係、特に仏教の本を読んでいることが多いのが気になったことがあります。それに対してOL風の若い女性は、読んでて吐きたくなるような、ものすごい描写の犯罪物を読んでる人が多かった時期があります。今は特にはやっているものは無いようです。30代40代サラリーマン風は、パソコン雑誌を読んでる人が多いようです。たまにマニュアルを読んでいる人もいて、なんだか気の毒になります。パソコンの前で触りながらではなく、電車の中で読んでるというシチュエーションに必死さを感じて。50代以上の人は、総じて歴史物を読んでいます。

新聞の連載小説は歴史物以外は結構読みます。
最近のは、今話題の日本経済新聞に連載されていた「失楽園」です。
日経朝刊にあのような連載小説が載るのがすごいです。
毎朝、楽しみに読んでいました。「さーて今日は何をするのかな?」です。

『楷書のようなきちんとした感じの人妻を、リストラされそうな中年男性が海の見えるホテルで…・』
『父親の亡くなった日に喪服姿の女性をホテルに呼び出し、着物をたくし上げて後ろから』
『赤い長じゅばんを着せて、しっとりした旅館で』
「おいおい好きだね。このおじさん。」と思っていると、なんと、渋谷に借りたマンションで、自分のベルトを引き抜きSMまで始めちゃいました。

お相手の女性も「こんなのが好きなのねー」と、思っていたのかもしれない。
外泊しても、咎めもせず、静観していたあげくに自分から離婚を言い出した妻の長い間のあきらめや、憎しみやそんなものには全然触れていない。
「早くはっきりした方がいいわよ。」と両親の離婚を促す娘の気持にも触れていない。
赤い長じゅばんを持って旅行に出る妻を、夫が殴っても当たり前と思うけど、それは二人の気持を正当化し、盛り上げることにしかならない。
すごい話です。
そして、なんだか心中しそうな話になってきて、「まさか、死なないだろう。死んじゃったらなんのひねりもないよなー。」と思っていたら、ある日の朝刊であっさり死んじゃいました。
その日の話題は「死んじゃいましたね。」です。その一言で、話が通ってしまうだけこの小説は日経購読者の中で注目されていました。

男性のロマンの結晶らしいです。
「女性を使えない奴は出世出来ない」とか「女性が世の中を変える」だとか、この女性に媚びてる時代に、男の視点だけ、男の好きそうなものだけ満載の、ものすごくストレートな筋を、さすがの渡辺淳一先生の力量で読ませてくれました。上下2分冊になった本も売れているようです。映画もロングランするそうです。中年男性がいっぱい見に行くことでしょう。私の周りの女性には何の話題にもなっていません。30代サラリーマンは「俺は死なないよ。」の一言で話が終わりました。

で、最近は本も買わない藤野のお薦め図書です。

『ナニワ金融道』 青木雄二 講談社

司法書士 司法書士補助者 銀行員 金融関係、不動産関係の方 必携!

 「週間モーニング」に連載されていた漫画です。これを読んで抵当権の滌除が初めて理解出来ました。解説本も出ています。1996年12月発行の法学セミナー(日本評論社)ではこの漫画を題材にして「人間ドラマから手形法入門!」という特集を組みました。下手な解説書より実際的です。

『貨幣論』 岩井克人 筑摩書房

 時間が出来たらもう一回じっくりと読みたいと思っている本です。
高付加価値商品やソフト等、労働量とそれによって生産された商品の価値が等価ではなくなった現代社会において、お金の価値って何だろうと思うと、ものすごく危うい均衡のうえで毎日の生活が成り立っていることが分かります。国や人や商品や経済やそれを支えるシステムに対する絶対の信頼がなければ「1万円札」は1万円ではなくなってしまいます。

『大人はがの問題』五味太郎の大人有害論 五味太郎 講談社

 精神的にまいっている時は青山のクレヨンハウスで絵本を眺めます。クレヨンハウスは昔懐かしいレモンちゃんこと落合恵子さんがやっているお店で、地下1階が自然食レストラン、1階が絵本、2階が女性に関する本が置いてあります。
そこで出来るだけ刺激の少ない、ぼーんやりして、ふわふわしている絵本を眺めるのですが、必ず手に取るのが五味太郎さんの本です。
普通の絵本は、作者が子供の目線の高さになるために、膝を折り、腰をかがめているそのギシギシした筋肉や骨の音が聞こえてくるようなのに、五味太郎さんの本には全然そんなところがありません。作者自身の目の高さで作者自身の考えで絵本を作っていて、それが自然に子供向けになっています。勿論大人も楽しめます。たぶん、子供をちゃんと人間として尊重しているからなのでしょう。そんな五味太郎さんが書いた「子供環境における大人有害論」です。気が向いたら開いたところを読む、という虫食い状態で読んでいますが、「人間に戻ろう。」と思います。

『幼年期の終わり』 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫

何回も何回も、お風呂に入りながらでも読んだので、もうボロボロです。
物語の最初からの記述が全てラストのクライマックスの為に存在し、一気に読ませてくれます。オゾン層破壊や、温暖化で地球の環境も変化してきて、アトピーや花粉症になる人も増えてきています。多分きっと違う人類が発生する前触れだと私は思っています。

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

 私がカート・ヴォネガット・ジュニアに初めて出会った本です。愛に満ちています。
カート・ヴォネガット・ジュニアの書くものには、手塚治虫作品の「ひげ親父」の様に端役で共通のキャラクターが登場し、その人物がそれぞれの小説でスパイスを効かせているので、他の作品も読むと益々はまります。このところずーと新しい作品が出版されていないようです。カート・ヴォネガット・ジュニア氏がアメリカで今、何をしているのか、ご存知の方がいらしたらメールをください。

『恋愛,苦しんだのが嘘みたい。』
『恋愛,トホホだったのが嘘みたい。』
『こんどの恋で勝負の君ヘ。』
すべて 永尾カルビ PHP文庫

 渋谷の東邦生命ビルの本屋で立ち読みをしていたら、どうしても笑いをこらえることが出来ず、顔が筋肉痛になりそうだったので、引きつった頬をさすりさすり、そこにあった全作品を買ってしまいました。妙な説得力があります。笑えます。