平成9年4月1日、出勤して事務所のデスクの上の日本経済新聞を見ると、目に飛び込んできたのが、1面トップの「北海道拓殖銀行と北海道銀行合併」のニュース。
過激なエイプリルフール。
昭和63年4月、事務所を開いたばかりの私は、渋谷、青山、原宿の銀行に片っ端から開業の挨拶回りをしていました。青山通りを歩きながら、骨董通りに目を向けると緑色の看板に『北海道銀行』の文字。高校卒業まで、北海道の函館に暮らした私でしたが、その頃は銀行というものにまったく縁が無く、北海道銀行という銀行を知りませんでした。毎日の事務所開業の挨拶回りで、最初の勢いも次第になくなってきていましたが、「北海道」の文字に惹かれ勇気を持って、ご挨拶に伺ってみました。
そこで、最初に応対に出られたのが、偶然にも同じ函館出身の方でした。清潔そうでダンディで、そして函館弁なのでした。その後、毎日のように伺うことになりましたが、北海道銀行の男性行員は全員が北海道出身で、半年に1度くらいは北海道から新しい人が転勤してきて、3年くらいでまた北海道に帰ります。そして、そこには常にリフレッシュした北海道があるのでした。東京の青山にです。私はいつも仕事で伺うのですが、北海道の空気と言葉にすっかりくるまり、ついつい長居をしてしまい、いつか嫌なことや、きつかった事などを忘れてすっかり元気になり、また、この東京でやっていく勇気と力が湧いてくるのでした。
どこの銀行でもそうですが、せっかく親しくなっても、皆さん3年くらいで転勤してしまいます。いまだに、その寂しさには馴れませんが、特に道銀の行員さんは「北海道に帰ること」を心待ちにしていて、この地で、何とかやっていこうと思っている私にはなんだか置いてきぼりにされるようで、寂しい思いをします。
そして、銀行員というのは不思議なもので、プライベートは勿論違うのでしょうが、ビジネス上の顔は、それぞれの銀行のカラーがあります。どんな巨大銀行でも、同じ銀行のどこの支店に伺っても、同じカラーの行員さんがいます。同じタイプの人間を集めてしまう組織の強力な求心力と、教育の力を感じざるをえません。
その中で北海道銀行の行員さんは、朴訥としてやさしく、人としてのつながりを大事にされるのです。皆さん本当にやさしいのです。
ある日、いつものように融資課のカウンターに伺った私に、「実は・・・。」と、話されたのが、青山支店廃店の話でした。ご自分達の方が、当事者として大変であるはずなのに、とてもすまなそうに、申し分けなさそうに話されるのでした。
その後、東京支店や新宿支店にも伺うようになりましたが、やはりそこは懐かしくて暖かい北海道です。
そして、今度は拓銀さんとの合併の話です。
東京にいると分かりませんが、北海道の主要都市の駅前には必ず北海道銀行と北海道拓殖銀行があります。隣り合っている店、向かい合っている店、かなりの支店の統廃合とリストラが予想されます。しかし、北海道では他をよせつけない段突トップの銀行になることも確かです。
その北海道の新銀行を作っていくうえで、誰よりも北海道を愛してやまない道銀の行員さんの気持が、大きな力になるはずです。
私にたくさんの力と勇気をくれた道銀さんの、何の力にもなれないことをとても残念に思います。
誰よりも北海道を愛する心やさしき男達とその家族の方達に、明るい未来が待っていることを願ってやみません。