表参道通信その46 地下鉄人生

表参道通信

 新聞のコラムで、ある作家が【ふだんはもっぱら地下鉄に乗っていて「地下鉄人生」である。】と書いていた。地下鉄ではたいていすわって文庫本を読むそうである。じっくり読むそうである。鍵を持たずに家に帰ったら、家人は外出していて、家に入れないので、仕方なくまた電車に乗って1時間ほど先の終点まで行って戻ってきたそうである。電車の中では本を読んでいたそうだ。

そんなコラムを読んでいる私の状態といえば、地下鉄の中で、前に立っている男性の背中と、つり革にぶら下がっている男性のわきの下の隙間でその新聞のそのコラムの部分だけをなんとか見えるようにたたんで、なんとか真っ直ぐ立っている。背中ではさっきからもそもそとなにやら間断なく動いていて、眉間にしわを寄せてギッと後ろを振り返ると女性が携帯電話にせっせとなにやら打ち込んでいて、こちらの背中の不快感はまったく気付かないよう様子。隣の女性は区の図書館のスタンプが押されたハードカバーの本を読んでいて、その角がさっきから腕に当たって痛い。

最初は新聞を広げる隙間も無く、前に立っている男性のスポーツ新聞の「F1
をまた日本で流行らせるにはどうしたら良いか」という内容のコラムを肩越しにふむふむと読んでいた。この筆者もバブルの頃は鈴鹿までF1を見に行っていて、最近はとんと行かなくなったということで、私も含めてそんな人も多いんだなと思ったところ。後は時間をつぶす術は無く、背中のもそもそはいつまでも続くし、持っている夕刊でも読むかと、無理やり隙間を確保して、読んだコラムには「地下鉄人生」である。

思わず、右手人差し指が立って右、左、右。「チッチッチ、甘いな。」私の地下鉄通勤は、まず座れない。早く帰っても座れない。飲んで遅くなっても座れない。終電なんかになったら立ってもいられない。だから何か読むものでも無いとやっていられない。

多分、人間も動物と同じでテリトリーというのがあって、ある程度の範囲に他の者が入ってくるのはストレスになると思う。それを完全に踏み越えて、前にも後ろにも横にも人。私の場合には頭の上にも人のわきの下や腕がある状態。とても平静にいられないので何か読む。読んでいる世界に没頭して回りの存在を消す。そうしないとやっていられない。

混んでいる車内の方が何か物を読んでいる人が多いような気がする。逆方向に向かう電車はいつも空いていて、乗っている人たちは1つのシートに3人位。悠々座って何をしているかと思えば、ただ、ぼんやりしている人が多いようだ。
周りに境界を作るために、わざわざ本やら新聞やらを読む必要は無いのだ。携帯電話でゲームを延々とやっている必要も無い。ヘッドフォンで音楽をガンガン聞く必要も無い。

先日の車内では、珍しくやっと座れたのに隣にはヘッドフォンで大音量で音楽を聴いている大男。あれは不思議で、どんな音楽も「ザンザンザーン」みたいに聞こえる。もう少し音楽的に聞こえれば、もしかしたら一緒に楽しめたかもしれないのに、「ザンザンザーザザザン」だ。

私の前に立っている男性も後ろから押されて斜めになって迫ってきているし、幸運にも座れたとしてもテリトリー侵害も甚だしいので、やっぱり持っている本を読むことにする。少し読んでみたが、隣のヘッドフォンからの音が本当にうるさい。耳からヘッドフォンをブチッと引き抜いて「うるせー!!」と怒鳴ってやりたい衝動にかられる。でも、待てよ。そうやって逆切れされて殺された人もいるしなーと思い直して、隣の男を観察してみる。

その男が読んでいるのは日本経済新聞。大抵その手の男は少年マガジンを読んでいることが多いが、「日経?」これはもしかしたら、耳からヘッドフォンを引き抜いて「うるせー!!」と怒鳴っても逆切れされないかもしれない。もう一度、その男を横から眺めてみる。「まったく、外に音が漏れないヘッドフォンって出来ないものだろうか。」と思いつつ見てみる。やっぱりでかい男。腕は私の腕の3倍はありそう。ヘッドフォンをして音楽をガンガン聞きながら日経新聞を読んでいる大男って、痩せてディパックを背負って、ヘッドフォンで音楽を聴きながら少年マガジンを読んでいる典型男よりかえって屈折しているかもしれない。「逆切れ率」はこっちの方が上か?と思い直す。結局、隣のヘッドフォンから漏れてくる大騒音に文句も言わずに我慢しようという結論。しょうがない。我慢。

こういう通勤生活こそ「地下鉄人生」と言っていいのではないだろうか。電車を待っている間はちゃんと整列して、降りる人のために真中をあけてすばやく乗り込み、周りに迷惑がかからないように気配を消し、周りの存在を消すために読書やゲームに打ち込み、周りの迷惑にはひたすら我慢。忍耐。それが毎朝、毎晩。幸福ばかりとは限らない毎日をそれでも淡々と生きていく、そんな地下鉄通勤。それこそ「人生」と付けるにふさわしい。
万が一、家に帰って鍵がかかっていて入れなくても絶対電車に乗って時間つぶしをしようなんて考えない。忍耐と我慢の「地下鉄人生」