• 1998.09.08

    表参道通信その20 どうして私に道を聞くの?

    表参道通信

     私ほど道を歩いていて、見知らぬ人に道を聞かれる人間はいないのではないかと思います。
    表参道周辺で道を聞かれれば、出来るだけ答えます。
    若いお嬢ちゃんに「この辺で居酒屋って無いですか?」と聞かれた時も、その人に合いそうな居酒屋を教えてあげました。「この辺にスーパーは無いですか?」と聞かれた時、「普通のスーパーならあそこの半地下の所、高級なものが欲しいならあそこの紀伊国屋。」と教えてあげました。知ってる事は教えます。
    でも、どこに行っても道を聞かれるのには困ります。初めて千葉市に行った時、JR千葉駅前で、持っていた地図で行き先を確認しそれを鞄にしまって歩き始めた途端に道を聞かれました。総武線平井駅からバスに乗って、目的地にちゃんと着くのか内心ドキドキしてるのに、なんとかセンターはどこで降りるのか聞かれても困ります。
    あまりに頻繁に人に道を聞かれるので「どうしてなんだろー。」と言っていたら、「人の顔見て歩いてるんじゃないの?目が合ってるのかもよ。」と言われ、目を合わさないように歩いてみても、後ろから肩をつかまれ、振り向かされて道を聞く人にはどうしょうもありません。本当にこういう人達がいるんです!いきなり、視界が180度回転し、自分の身に一体何が起こったのか分からないうちに、おばちゃんが「○○はどこ?」と聞くんです。
    こちらが自転車に乗って走っているのに、わざわざそれを止めて道を聞く人もいます。他に歩いている人がいるのにです。オープンカーを運転していて、横断歩道最前列に信号待ちで停車していたら、目の前を横断するおじさんにフロントガラス越しに道を聞かれた事もあります。
    駅の構内で、「A3の出口はどこですか。」と聞かれて、それはどこだと答えられる人がいるのでしょうか。毎日使っている駅であればあるほど、どこに行く方向かは分かってもそれのどこがAなのかBなのか覚えている人はいないはず。「あそこの案内板に出てるんじゃないですか。」としか言いようがありません。そんな答じゃ不満だという顔をされても。
    初めて行ったビルの一階のエレベーターホールで、そこのビルの案内板の前で「**会社はここにはないんですか?」と聞かれても「そこの案内板に無ければ無いんじゃないですか。」としか答えようがありません。

     道を聞かれる事が楽しい事であれば、私も気にしないのですが、歩いている時は次の段取りを考えていたり、何か考えをまとめていることが多いのです。そういう時に「すみません。」の一言も無くいきなり話し掛けられ、その人が何を言っているのか分かってみると、道を聞いているみたいで、やっと言っていることが分かって、丁寧に教えても「ありがとう。」も無し、「わかりません。」と答えようものなら非難がましい目で見られる。
    せめて、いきなり話し掛ける前に「すみません。」くらいは言って欲しいのです。そうすれば考え事を中断して、いくらか気持の準備もできるってもんです。「ありがとう。」も言うのは当然の事だと私は思うけど、そこまで要求する私がもしかしたら悪いのか、だんだん自信がなくなってきています。

     今年新たに発見したのは、眼鏡です。花粉症対策で度の入っていないごく普通の眼鏡をかけていた時期があったのですが、その間は誰一人にも道を聞かれる事がありませんでした。誰にも話し掛けられたくない時は眼鏡をかければ良いのでしょうか。でも誰にも話し掛けられたくないのでは決してなくて、もっと気持の良い、少なくとも不快感の残らないコミュニケーションがしたいだけなんですけど。