• 1997.06.20

    表参道通信その13 若さと美貌と資本主義

    表参道通信

     事務所にパソコンが来て1年以上経ちました。
    インターネットに作った自分のホームページを見るためにパソコンを始めましたが、ほとんど違和感を持たず割とすんなり入ってしまいました。労力を惜しまない良いサポーターが側にいてくれたおかげでもありますが、私のパソコン初体験はずーと昔、司法書士受験時代にさかのぼります。

    実は、司法書士受験生時代、アルバイトでNECのショーに出ていたのです。エレクトリックショーやビジネスショーです。今は、幕張メッセなんかでよくやってますが、あの頃は、晴海や東京プリンスホテルや、新宿のNSビルでした。出展企業毎にそろいのユニフォームを着て、白いハイヒールを履いて、パソコンの前でニッコリというあれです。
    あのショーコンパニオンにもいろいろ種類があります。
    マイクを持って商品説明をする「ナレーターコンパニオン」
    受付などにいて、にっこりとカタログを配ったりする「コンパニオン」
    パソコンの前でパソコンを触って見せる「オペレーター」です。

    「ナレーターコンパニオン」は、話し方の訓練をちゃんと積んでいて、前の晩遅くにやっと出来あがった原稿を渡されて、次の日の早朝にはマイクを持ってにこにこと商品説明をしているのには驚きました。
    「コンパニオン」はその頃ハヤリの女子大生で、でも、いわゆる素人ではなく、コンパニオン会社やモデルクラブから派遣されていました。

    私は勿論、その他大勢の正真正銘素人バイトの「オペレーター」で、それでも一応、築地の電通でオーデションを受けて、その後、2回位パソコンの操作を習いました。「オーデション」といってもその内情は単なる顔合わせで、それでも「電通でオーデションを受けた。」と言っては自慢してました。聞かされる相手は皆どうも納得しがたい表情をしてましたが・・・。

    その頃のパソコンは今と比べるとなーんにもできなくて、立ち上げ一つが大変でした。特にコンパニオンとしては、パソコンを本当に操作出来る必要も無いらしく、まあ、座っていれば良い役でしたが、貧乏性なのか、ぼーとしている事が出来ず、カタカナで(カタカナしか入らなかったと思います)料理のレシピを入力したりしてました。それでもショーに出てるくらいですから、それがその頃の最新機器だったのでしょう。

    コンパニオンは待ち時間の長い仕事です。
    どうしてかは分かりませんが、まだ何も出来上がっていない会場に早朝から集合させられ、ブースが出来上がるのを待ちます。結局その日はブースが出来上がらず、リハーサルは翌日という事もありました。

    その間、晴見の会場のすみや、プリンスホテルの一室やロッカールームで待ちます。さすがにコンパニオン派遣会社やモデルクラブから来ているだけあって、みんな奇麗です。雑誌をめくりながらきゃーきゃー言っているのを見ているのは夢のようでした。毎日、男ばかりの中で受験勉強している私には別世界です。話題にもついていけません。毎日、先例集や六法を読んで、たまったバイト代で司法書士のバイブル、テイハンの「書式精義」を買おうと思っているのですから。
    あんまり見とれているのも変なので見ないようにするのですが、知らず知らずボーっと見てしまいます。
    よく一緒にお昼を食べてた子なんかは、女子大生として『お父様に買って頂いた君島一朗のスーツ』を着て雑誌「JJ」に載ったりしていました。

    オペーレーターでも学生バイトにしては破格の時給でしたが、コンパニオンの中でも企業の顔となる受付の子はNECがモデルクラブから選んできていて、普通のコンパニオンの3倍くらいの時給でした。ナレーターコンパニオンはもっと高いようでした。
    その時思いました。「若さと美貌はお金になる。資本主義だなー。」って。需要と供給で価格が決まる自由競争の世界です。
    若くて奇麗な子は希少価値があって需要があるからバイト代が高い。それに比べて、オペレーターは一山幾らです。
    前の晩に原稿を渡されて、次の日には、にっこり商品説明をしてしまうナレーターコンパニオンは若さと美貌と技術で、もっと時給が高い。

    それでも、受付の子は「事務所に半分は取られるのよ。」と言っていました。
    その子は私から見ると十分痩せて奇麗なのに「事務所にあと4キロ痩せないと今度は仕事を回さないと言われた。」と。
    搾取されるのが嫌で独立したナレーターコンパニオンは「仕事を取ってくるのが大変。」
    やれやれ何のお仕事も大変です。